次のピースが・・・

 

◆2005年2月下旬

 パズルのひとつのピースが埋まった。でも、これで50歳からの人生設計の全体図が
描けたわけではない。「あなたはいいでしょう、とりあえず「好きなこと」ができるように
なったわけだから・・・」と、妻がいう。たしかにそうだ。生活の糧を得るために、好きでも
ないことを仕事としている人も多いはずだから。その意味では幸運であるし、幸せを感
じる。しかし、まだこれは「はじめの一歩」でしかない。

 生まれてはじめての単身生活が果たしてうまくいくのかどうか。単身生活(二重生
活)に係る費用を引いて家族の生活が成り立っていくのだろうか。お店はどうするの
だ。建物の建て替えはどうするのだ。住宅ローンを背負ったときに返済していくだけの
収入の裏付けはあるのか。同居の母親との生活を維持していくためには・・・。妻との
話し合いは、埋まらないピースを探し求めて、毎日毎日つづく。結婚してから、こんなに
長い時間人生設計について話し合ったことはなかった。結構濃密な時間だったりもす
る。

 同居の母は、23年前の2月に脳腫瘍の摘出手術を受けた。それ自体は成功して、退
院もみえてきたときに脳血栓を起こして倒れてしまった。看病に泊まり込みでつきそっ
ていた父が心筋梗塞で倒れ、同時期に2人ともが何ヶ月にもわたって入院という時期
があった。長男がまだ1歳の時だった。さぞかし修羅場だっただろうと思うのだが、思い
出そうとしてもどうやって日々の暮らしをつづけていたかさっぱり思い出せない。ただた
だ、がむしゃらに必死に闘っていたのだろう。

 母は懸命のリハビリをつづけ、動かない左半身というハンディを克服して、ひとりで歩
き、なんとか日常生活はひとりでこなせるまでになった。一方、父は13年前、何度目か
の心筋梗塞の発作であっけなく逝ってしまった。63歳だった。妻は、お店を切り盛りし
ながら、そんなわたしの母親の面倒も診てくれている。今後も、その生活を続けていっ
てくれるという妻には頭が上がらない。と同時に、少しでも負担を軽くしてあげることが
できないだろうかと考える。ならば、お店との両立という足かせを外してあげる選択とい
うのが現実味を帯びてくる。

 でも、そのピースで画を埋めたとき、建物の建て替えの返済の原資はどうなるのだ。
こどもたちに化粧品店を継いでくれとは言わないし、もとよりその化粧品店をたたもうと
しているのだが、それぞれの道を歩んでいくはずの彼らに大きなローンを背負わせるこ
とにしていいのか。規模を縮小して化粧品店を残す道はといえば、たとえ生活費を外で
わたしが稼いできたとしても、今の売上の規模から考えると投資が回収できるとは思
えない。話しても話しても、ぐるぐるとおなじところを回っているだけで、一向に次のピー
スが埋まらない。

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◆2005年2月27日

 あいかわらずぐるぐると話が回っている。ふと妻がつぶやいた。「自宅とあわせてアパ
ートを建てたら、その賃貸収入でローンが返せないかしら。」早速、インターネットで検
索をかける。「賃貸併用住宅」というのは大手のメーカーが多く手がけていることがわ
かる。当然のことながらサイトでは「安心」の文字が躍る。

 今、店舗が建っているのは南向きの間口は狭くうなぎの寝床のような土地である。で
も、隣接する母親の所有する土地もあわせて使うことができれば、ワンルームの部屋
ならある程度つくれるかもしれない。オーナーであるわれわれは3階に自宅を作って住
むというのはどうだろう・・・いや、母親の身体のことを考えると自宅は1階か・・・。ザク
ッとしたイメージではあるが、もしかしたらまたひとつピースが埋まるかもしれない。そ
んな気持ちがわき上がってくる。

 いや待てよ。半分は母親の土地だ。われわれの勝手都合では話は進まない。だい
たいお店をどうするかという話だって、創業者のひとりである母親にはまだ話をしてい
ない。あまりにこちらに好都合なことばかり並び立てては、鼻白む思いにさせるかもし
れない。

 でも、この計画が実現したとして、わたしたちがそれに願うことは「住み慣れたこの土
地で、今のままの家族一緒での生活ができること」「住宅ローンの返済に苦しまないで
すむこと」だ。そりゃあ、賃貸収入で家計が成り立てば、それはそれでありがたいが、う
ちの規模ではそれは望めない。だから、決して自分勝手な理屈を並べているわけでは
ないはずだ。・・・と、理解してもらえるだろう。

 本当に可能な話なのかもわからないのだし、仮定の話で素人があれこれ想像してい
ても進展はない。早速、サイトから名前をよく目にする4社に資料を請求してみる。ハン
パじゃない「買い物」となるわけだから、ここは慎重にも慎重を期さなくてはいけないし、
キチンと勉強もしなくてはなるまい。

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◆2005年2月28日

 朝、メールチェックをすると、I社のYさんからメールがきていた。「MAPのリニューアル
の件と、その他の件で直接お話ししたいことがあるので本日電話をさしあげたい」とい
うことだった。きょうは定休日、言われた時間には用事で外出する予定もあったので、
あす以降なら基本的に在宅という旨返信する。

 「その他の件」が何を示しているかはあきらかだが、その内容を考え出すと不安がむ
くむくと頭をもたげてくる。「その後、車内で慎重に検討した結果、今回のお話しはなか
ったことに・・・」っていう話かもしれない。「内定」と判断していたのはわたしの勝手だか
らだ。

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◆2005年3月1日

 3月がはじまった。27日の日曜日の夜の資料請求に対してはやばやと動きがあっ
た。自動送信の受付メールでは、各社ともに1週間以内には資料をお届けするとなって
いたが、きょうP社のエリア担当から電話が入る。「近くの現場におりますので、ごあい
さつがてらお伺いしてもよろしいでしょうか」という。

 やってきたのは独身の若い男の子(子なんて言っては失礼だが)。まだ具体的な調
査をしたわけではないがと断りつつも、私鉄の駅からもJRの駅からも徒歩5分くらいだ
し、ワンルームのニーズは高いと思われるという。だから、賃貸収入で建設費用のロー
ンを返済していくというわたしたちの「素人考え」も実現可能だと思いますよ。と、心強
いことを言ってくれた。

 具体的なプランがでたわけでなく、建設資金の概算もでたわけではないので、まだま
だ楽観はできないけれど、一筋の光明が見えた感じがする。けれど、「直接電話でお
話しを・・・」という肝心の件には、疑心が募り暗雲が晴れない。

 夜9時半過ぎ、携帯に電話がかかってくる。「街のお化粧品やさんMAP」のリニュー
アルについての事務的な話を簡単にすますと、いよいよ「本題」だ。「先日、新年度の
事業計画を策定して、その中でどのような役割を担っていただくかを、こちらで検討して
ご提示するという話をしておりましたが、それよりも、事業計画を描く段階からご意見を
いただきながら進めたほうがよいのではという話になっておりまして・・・」と切り出され
た。

 よかった! 「内定取り消し」というわけではなかった。近日中に、取締役とミーティン
グをするために上京することとなった。一応「内定」と勝手にわたしは考えていたが、こ
の「役員面接」が正式に採否を決めるほんとうのターニングポイントになるかもしれな
い。その時は10日(木)のお昼と決まった。

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◆2005年3月第一週

 火曜日にやってきたP社に続いて、木曜日にはS社、金曜日にはD社が訪ねてきた。
A社からは資料とともに「土地活用診断シート」というのが送られてきていて、これを提
出すると周囲の住宅供給の実情などを調査して、プラン提案の前段階の資料としても
ってくるということだった。

 まだまだざっくりとした話でしかないが、メーカーによって微妙な違いがあるのを感じ
る。それはテレビや新聞などで見聞きするイメージの違いとほぼイコールである。それ
ぞれの得意分野がハッキリとある。ただ、これら大手に共通するのは、資料による限り
「一括借り上げシステム」といった賃貸住宅経営をサポートする仕組みをキッチリともっ
ていることだ。もちろん手数料は払わなくてはいけないが、空室ができたらどうしようと
か、入居者の入れ替わりの時のメンテとか、ざっと考えただけでも不安になる多くの事
柄を肩代わりしてくれることになっている。わたしたちのような素人には「安心」といえ
る。

 ただ、みんな同じようなことが書かれていて、当然それらはみんな「いいこと」が書か
れているわけで、ほんとうに信頼に足るメーカーはどこかというのは読み取れない。あ
とは「マンパワー」ということになるのだろう。誠実さ? 説明力? 自社の仕組みに対
する自信? ちょっと楽しみになってきた。

 賃貸併用住宅を経営していくことの成否に関しては感触は悪くないが、どこも一様に
それを世帯収入の柱とすることはむつかしいだろうと言う。わたしたちの望みはそこに
はないから何とか成り立つだろうという思いが確信にかわりつつある。人生設計という
画に最後のピースが埋まるかもしれない。

 あいかわらず、夫婦の間でああでもないこうでもないと設計図を描くための話がとりと
めもなくくり返される。でも、次のステップへは10日の「役員面接(?)」の結果をうけな
いと歩を進めることはできない。

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