舵を切る

 

◆2005年3月10日

 東京駅11:00着、東京駅15:26発。滞在時間4時間26分のあわただしい上京。その中
の2時間半が、これから先のわたしにとってのキーパーソンとなるかもしれない人たちと
「刺激的な」面談。取締役といっても平均年齢が30代前半、頭の回転が速く、将来を見
据えたビジョンをしっかりと持っている彼らとの会話は、テンポもスピードも緊張感もあっ
て、さながらことばの真剣勝負の様相。でも、すごく楽しかった。

 事業計画を描く段階からご意見をいただきながら進めたい、と言われていたわけだか
ら、何某かのプランを示す必要があるだろうと、きのう事業プランをひとつパワーポイント
で作っていった。じぶんたちが進めようとしている方向がまったく見当違いではなかっ
たということが裏付けされたと好意的に受け止めてくれた。

 しかし、練りに練って持ち込んだ企画とは言い難いので、早速「物流」の問題など、と
りあえず曖昧にしておいた部分にはチェックが入る。刺激的な仕事とはなりそうだが、
はたしてもうすぐ50のわたしに勤まるのだろうかというネガティブな思いもまた顔を出
す。

 会議室で企画案を前にしたやりとりのあと、場所を移して食事をしながら意見を交わ
す。そこは、かの「六本木ヒルズ」の最上階(?)。残念ながら下界を見下ろせる窓側
の部屋ではなかったけれど、なかなか優越感を感じさせてくれる個室だった。先方は、
そうそうこういうところを使うわけではないんですよと言っていたが、そんな配慮がうれし
い。

 食事をしながら、あらためて会社の概要などの説明を受ける。取締役会としてわたし
の参画をよろこんで迎え入れたいという意思を表してくれた。わたしに期待され求めら
れているのは、街のお化粧品やさんを自営してきたということと、その街のお化粧品や
さんの全国組織の中で、お店の活性化のために知恵をしぼってきたという実績だ。こ
れまでやってきたことが評価され請われることって、なんて幸せな奴だろうと思う。

 ただ、ひとつ気になるのは、わたしが関わることになるだろうセクションの取締役であ
るT氏だ。彼も30代前半のはず。それが50のおっさんを使わなくちゃいけないのであ
る。わたしには抵抗は全くないのだが、彼としては扱いづらいだろうなぁと正直思う。そ
れは取り越し苦労だよって早く払拭してあげたいところだ。

 お店を閉めるとしても、きょう決まったからすぐにというわけにはいかない。うんと少な
くなったとはいっても、うちのお店を利用、愛顧してくださっているお客様がある。その
方たちへの周知徹底期間と、サービススタンプなどの精算の期間をある程度設けなく
てはいけない。リース契約しているパソコンやPOSレジ、カウンセリング機器や、駅に
ある交通広告など、片づけていかなくてはいけない事柄も多い。なので、5月末日閉
店、7月1日からフルコミットで仕事に就くというスケジュールになりそうだ。

 先方からは、フルコミット体制になるまでの間の4月から6月も、事業の展開の速度を
ゆるめるわけにはいかないからと、担当取締役のT氏と交互に出張したりしながら、ア
ドバイザー的な関わり方をしてほしいとも言われた。いきなりアクセルをいっぱいに踏
み込んで走り出すような感じだ。出遅れないようにしなくては・・・。

 帰り際、CEOのY氏から握手を求められる。こんなおじさんだけど一生懸命ガンバル
からよろしくねという思いでその手を握り返す。先に話にのぼっていた年俸をボトムとし
た条件面の提示を今月中に受けることも決まった。いよいよ本当に「化粧品店の廃業」
「転職」という50歳の大転換の舵が切られることになった。

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◆2005年3月11日

 妻との人生設計をめぐる話はあいかわらず飽くことなく続く。ただし、ステップはひとつ
先に進んだ。賃貸併用住宅については週明けにも次の動きがありそうだ。きょうの懸
案は、はたして提示された年俸で暮らしが成り立つかというところにある。毎月固定的
に払っている費用の洗い出しを進める。光熱費・保険・電話料金などなど・・・。不要不
急のものはとにかくカットしなくてはいけない。お店のみで必要としていたものはもう不
要だ。早速、駅の交通広告の契約を解除した。

 ここまでは妻とふたりで人生設計を描いてきた。いずれは巣立っていくことになるの
だろうが、今はまだこの設計図にはふたりのこどもも書き込まなくてはいけない。同居
の母親もまたおなじだ。大学院生の長男は来年3月の卒業に向けて就職活動を本格
化させている。次男はこの4月から大学生だ。地元の学校に進むのだから、少なくとも4
年間はパラサイトということになる。

 今夜、こどもたちにわたしたちの人生設計を話して聴かせる。べつにいい格好をする
つもりはなかったが、余計な心配を与えたくなかったので、これまでお店の経営状態に
ついての話はしてこなかったから、ちょっと驚いたようだった。ふだんはマイペースのB
型長男は、急激な変化が起こっていくことに対して「う〜ん・・・」と首をかしげたりしてい
る。来年になればきっと僕も働いていると思うから・・・とも言う。そのタイミングだったら
何かが変わるというわけではないが、それは彼の優しさのなせる技か。

 ふだんは気が小さく心配症のA型の次男は、こどもの頃から「ここ一番」という大勝負
になると肝っ玉が据わるようなところがある。珠算の検定しかり、近くは大学の一般公
募推薦入試しかり。なので、この話もどっしりと受け止めたようだ。

 この年での単身生活ってだいじょうぶなの?って心配してくれたのはうれしかった。じ
ぶんだってホントにだいじょうぶかと不安に思っていることでもある。だって、生まれてこ
のかたいちども自宅以外で生活したことのないわたしなのだから・・・。

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◆2005年3月12日

 今夜は、母へ話すことにした。創業50年、父とともに一から築き上げてきた「お店」を
閉めてしまうこと。そしてお店であるとともに生活の場でもあった「建物」を壊してしまう
ことには、心情的に認めたくないこともあるだろうなぁとシミュレーションする。でも、思
いは断ち切りにくいかもしれないが、未来に向けて今はこうすることが、わたしたち家
族にとってベターな選択であるということを理解してもらわなくては、一歩も先へ進めな
い。

 ふだん母親とはまともに話をしない愚息のわたしは、どうにもならない状況であるとい
うことと、こうするしか家族みんなでの生活を守っていくすべはないということを、キッチ
リと伝えなくちゃいけないと思うがあまり、紋切り型で断定的で怒ったようなものの言い
方になってしまったようだ。あとから、妻に散々な評価を受ける。

 それでも、一応「わかりました」という返事を受ける。ただ、1回の話で背景から何ま
ですべて理解できたとは言い難いので、これからも計画が進んでいく節目節目で、噛
んで含めるように話をしていかないといけないだろうと思う。なにせ、これから賃貸併用
住宅の経営というプランを実行しようとしている土地の半分は母親のものだから、だま
したり、丸め込むというようなことはできない。

 あすの夜は、甥っ子の高校入学のお祝いを届けがてら、妹に話しにいこうと思う。彼
女は、母親名義の土地に関しては相続の権利を持っている。

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◆2005年3月13日

 P社の若い担当者が、このあたりの賃貸事情(家賃相場・供給状況・空室率)などを
調べた資料を持ってやってくる。駅に近く、公共施設が集中して住環境は悪くないと思
っていたのだが、思ったより家賃相場が低い。地下鉄沿線のほうが引き合いが多く、J
Rと私鉄から至近というのでは、ワンランク下がるのだそうだ。

 他との差別化のためには、おなじ1Kや1LKでも間取りが広いとか、設備に付加価値
が求められるともいう。なかなかこのフィールドでの戦いも厳しいものがあるようだ。とり
あえず、面している公道から奥に20mまでは近隣商業地域になっているので、建ぺい
率と容積率に少々恵まれていることは救われた思いだ。

 P社の彼は5階建てくらいを考えているという。まだ具体的なパースは見ていないが、
考えもしなかった大きさなのでちょっと「目からウロコ」である。

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