内定なのか

 

◆2005年2月

 妻との間で、わたしの50歳からの人生設計の話が頻繁に交わされるようになった。
並行して妻の父親の介護の話も同時進行で大きく動き出そうとしている。じつは先月
買い物に出た先で転倒し、骨折こそしなかったまでも顔と腰を強打したのだ。今は入院
加療中なのだが、退院後のことを考えなくてはいけない。こういうことがあるといつまで
もひとり住まいというわけにはいかない。

 わたしのほうの人生設計もいくつかのパターンが考えられる。昨年来のメーカーさん
からの提案のように規模を縮小して妻がひとりでできるお店をめざすこともひとつ。で
も、これには建物の改築を先送りにして店舗だけに投資することが得策かどうかという
疑問点が残る。もとより、その投資を回収できるだけの売上が確保できるかという根本
的な問題が横たわっている。

 それに「前向きに」「真摯に」受け止めてもらっているとしても、果たして家族を食わせ
ていけるだけの収入を補償してくれるのかどうかということだってハッキリしない。まだ
まだ確定的な人生設計を描くにはピースが足りない。これらがキッチリ埋まらないこと
には絵は完成しない。

 それでも、お店を閉めてしまったら、あのお客さんはどこに化粧品を買いに行くのか困
るだろうなという人の顔が思い浮かんだり、いやいや、自然におさまるところにおさまっ
ていくものだからと思い直したり、昨年の秋にお店を閉めた知り合いのことばを思い出
したりしながら、真剣に50歳からの人生設計を考えているじぶんがいる。そして、妻も
また真剣だ。

 次に一歩をどのように踏み出すかは、18日の全体協議会のあとにする話し合いの結
果にかかっている。それまでは仮定の話でしかない。あまり期待をふくらませてもいけ
ないし、妙に縮こまってしまってもいけない。

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◆2005年2月14日

 わたしたち「街のお化粧品やさん」のプライベートブランド商品だった「ハンドトリートメ
ント」と「クレンジングウオッシュ」が、この秋で打ちきりとなることになった。簡単にいえ
ば、わたしたちに売る力や育てていこうという熱い思いが欠けていたために、メーカー
から絶縁状を叩きつけられたというところか。交渉の過程でのやりとりに齟齬があった
という話も聞こえてきたが、要は「売れなかった」のだからしかたない。

 化粧品組合という組織は、株式会社ではなくゆるやかな横のつながりの連合体だか
ら、「売らなくちゃいけない」と強制することはできない。チャネル横断型の大手メーカー
の商品では苦境に立たされているわたしたちなので、じぶんたちだけが扱うことのでき
るものの価値をもっとわかってほしいと思うのだけど、一国一城の主を相手になかなか
強くは言えないところが歯がゆかったりするが、全粧協という組織のもつ限界も感じ
る。だからといって、それを投げ出すというわけではない。

 きょうはバレンタインデー。東京の本部事務局の女性2人から連名でバレンタインデ
ーのチョコが届いた。それが「想ひそめし」という名の「ちょこあられ」。とってもお上品で
ある。開けてみたらいきなり「ハート型」のしおりが出てくるわ、商品名は「想ひそめし」
だわで、なんかとてももてちゃっているような気分。

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◆2005年2月18日

 昨年11月に改組となって、以前所属していた情報システム研究委員会と教育研修
委員会がひとつになった教育情報委員会として、はじめて迎えた全体協議会。17日午
後からの委員会審議、そして18日の答申と無事終了。若いメンバーが新たに2人加わ
ったこの委員会は活躍が期待できそうだ。図らずも委員長を拝命することとなってしま
った。今後、ご迷惑をおかけするやもしれぬと思いつつ、今はまだ胸の奥に秘めている
ものを明らかにできないのでやむを得ない。

 その委員会での決定事項やら審議事項をもって乃木坂のI社のオフィスにYさんを訪
ねる。はじめの15分ほどは、オフィスのフロアをパーテーションでいくつにも区切った応
接で、それらを報告するとともに今後の進め方を打ち合わせるという「全粧協」側窓口と
「 I社」側窓口の事務的な話だった。

 そして、おもむろに「メールいただいた件については、ここではなくて社外に出てお話
ししましょうか」と切り出されて、となりのビルのティールームに移動する。このあとは通
常の就活でいえば「会社説明会」と「役員面接」とがいっしょになったものといったところ
か。まず、わたしどもの状況をということで、売上の状況や今後の見込み、社員の構成
などなど、仔細にわたって Iという会社の説明を受ける。そんなことまで話してもらって
いいのかとこちらが思うくらい、しっかりと話を聴いた。真摯にわたしの申し出を受け止
めてもらっていることが感じられてうれしい。そして、こんどはわたしが今回エントリーす
るに至った経緯と、 Iという会社をどのようにみているか、どんなことができそうだと考え
ているかをありのままに話してみる。

 もし、ご一緒にということになったらフルコミットいただけるのか、アドバイザー的な関
わりかたなのでしょうかとの問いには「こちらに来てフルコミットするつもりでいます」と
即答する。新しいフィールドに踏み出す以上、中途半端なことはしたくないのだ。50歳
の転身には退路を断って真っ直ぐ前に進むことしか考えられない。ならばと、ざっくりし
た年俸の話になる。となると、わたしには「東京での単身生活を維持して、なおかつ名
古屋の家族を養える程度」としか言えなかった。果たしてこのわたしにどのくらいの値
が付けられるのか、それは先方の値踏みにかかっているような気がしたからだ。

 それでもザクッとした年俸の数字の話となる。宮仕えの経験がいちどもないわたしに
は、もうすぐ50という年齢でふつうどのくらいの年俸をとっているかはわからない。た
だ、その数字は学歴も職歴もないわたしの転職にあたっての「値踏み」としてはかなり
の好条件ではないかという気がした。もちろん、それは今の化粧品店での収入より多
いが、それで「東京での単身生活を維持して、なおかつ名古屋の家族を養う」ことが可
能かどうかはにわかにはわからない。

 話し合いは1時間半くらいだったような気がする。すっかり外は日が落ちて暗くなって
いた。「この次は、是非弊社の取締役とお会いいただきたい」ということば。そして、
「今、検討している次年度の事業計画の中で、どのように関わっていただくかを考え
て、ポジショニングを決めたところでまたご連絡します」ということばは、いわゆる「内
定」と思っていいんだよねって、地下鉄に乗りながら考える。いんだよね、内定で。

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