12月

 仕事編
 生活編
 自宅建て替え編


 2005年12月、激動の1年の締めくくり。激動・激変の環境の中でかたちとなったもの
がふたつ。店舗兼住宅の今までの建物を取り壊して建てた住まいが完成した。思えば
ホントに長い道のりだった。紆余曲折というのはこういうのをいうんだなって思う。

 仕事の面では10月に異動した先の事業部が運営するECサイトのリニューアルがお
わった。こちらは11月後半は休みなし、睡眠時間を削って取り組んできた作業がかた
ちとなったもの。ただ、こちらは1日にオープンにこぎ着けたものの、ステージ(テスト)
環境では発見されなかったバグが続出したり、運用面での仕様の不足などが散見さ
れ、早速改修が走りはじめた。最初の設計に関わっていなかったので、真剣に取り組
んできたけれどじぶんのものという実感に少し欠けるところはあったのだが、このバグ
潰し、ブラッシュアップによって「じぶんがかかわったもの」という思いが芽生えてきた。
しかし、そのかわり予算やサイトのページビューの実績などに言い訳が通用しなくなっ
た。
 

◆仕事編

■12月1日

 サイトリニューアルの朝、9時に行われる予定のリニューアルを前に8時半過ぎにはグ
ループメンバーが揃った。いつもはフレックスコアタイムのはじまる10時ギリギリにしか
揃わないことも多いのだが、さすがにけさはみんな気合いの入り方が違う。

 刻々と9時が近づくが直前にトラブル発生。システム企画部もわたしたちもバタバタす
る。遅れてDNSの切換がはじまったのが9時半過ぎ。その後もうまく表示されないと
か、「不正なURL」とエラーメッセージがでるなど、大小さまざまトラブルに振り回され
る。どうにかモノになったかなと思ったときにはお昼12時を回っていた。さぁ、そろそろ
アクセスが多くなるかなと思っているといきなりサイトが重くなる。お昼休みにアクセス
が集中しているのかなとすごく期待したが、2台並列で動かしているサーバの片方の
調子が悪かったのが原因とわかる。ちょっとガッカリ。

 夕方になってもまだバグ潰しがつづく。そんな時、ふつうに見ていてすぐに目につく場
所に表示ミスを見つける。あんなに大勢でチェックをくり返していたのにと、ミスにあわ
てる前につい笑ってしまう。灯台もと暗しというか何というか。もちろん、大至急改修要
請を出す。

 バグも潰し切れていないし、システムもまだまだ安定していなかったし、残タスクもな
かったわけじゃないけれど、本日は20時20分に退社。限界とはいわないけれど、きょう
はいいかなってところ。思えば11月21日から休みなしだった。地下鉄の駅に向かいな
がらふと思う。予想していたよりも達成感は少ないなって。まだまだ完璧に仕上がった
わけではない、残タスクもすぐにかからなくてはいけないブラッシュアップ案件もある。
まだ八合目くらいかという感がする。でも、この感じはそんなところからきているわけで
はないようだ。

 きのうも書いたが、このプロジェクトには途中(最終盤)からしか関わっていないという
ことや、クリエイティブな役割を果たしていないというところに起因しているんだろうな
ぁ。でも、精一杯やったことはたしかなんだけどね。

 今夜は久々にちゃんとした夕食を摂った。帰りに立ち寄ったスーパーで1尾78円也の
サンマを買ってきた。冷蔵庫にあったダイコンをおろし、半丁残っていた豆腐にも火を通
した。ちょっと傷ありだからお値打ちのサンふじをデザートに。久しぶりに部屋でのんび
りできた夜だった。

■12月2日

 けさのめざましテレビの星占い、おひつじ座は運気最高だった。気分をよくして月に
一度の全社ミーティングのためにいつもより1時間早くうちを出る。けさは缶やびん、ペ
ットボトルのゴミの日。起きてから1時間で、洗濯・朝食・ゴミ出しとなると、結構目まぐ
るしい。

 運気最高のけさ、山手線目白駅では、わたしの乗っている内回りとホームのむこうが
わに止まった外回りのドアが、寸分違いなく同時に閉まった。なんかこれってすごくな
いってひとりでほくそ笑む。そうそう、きのうはラッキーのおなじまい「オレンジ」というの
に反応してオレンジ色のフリースのシャツを着て出かけたが、御利益はあまり・・・

 全社ミーティングでは、うちのグループのサイトリニューアルの話も出る。終わって、
他のディビジョンの人たちから「よくなりましたね」とか「お疲れさまでした」と声をかけて
もらう。きのうは達成感イマイチと書いたわたしだが、こういう声をかけてもらうとちょっと
じんわりと感じるモノがある。

 グループミーティングでは、メンバーをねぎらい、代休の効果的な取得を示唆し、少な
くともこの週末はゆっくりと・・・と話をした。しかし・・・

 ミーティング終わったあと、日が落ちてからは誤算の連続。うまく帰宅の途についてし
まった人はラッキーだった。残っていたわたしには試練(?)が次々襲う(大げさか?)
夜9時すぎになってから、ことしの流行語大賞でもある「想定外」のできごとも。「なん
で?」「どうして?」「それって当たり前?」という思いが頭の中でぐるぐる回る。

 あすあさっての週末は休ませてもらうつもりだから、きょうは多少遅くなっても構わな
いが、ほんとは9時前には帰っていて不在通知のまま受け取れずにいる宅配便を受け
取ろうと思っていた。しかし、その計画はすべて水泡と化し帰宅は0時すぎ。それとて、
課題が解決した上での帰宅ではなかった。なかなかままならないものである。

 今は、この週末に緊急呼び出しのかかるようなバグやトラブルが起きないことを祈る
ばかりだ。 じつはこの週末は名古屋に帰らなくてはいけないのだ。大事な用件が待っ
ているので帰れなくなったら大変なのだ。

■12月8日

 本日、午後に往訪1件。出かけた先は六本木ヒルズのホリエモン氏の会社。ビジネ
ス棟へのエントランスフロアでは、受付でアポのあることを伝え、展望フロアの入場券
のような細長いチケットをもらいゲートを通る。帰りは、そこに記念の観光スタンプよろし
く、訪問先の印をもらってきてガードマンに渡すというのがセキュリティの仕組み。記念
にもらって帰りたいくらいのいい紙を使った入館券といい、受付の女性にガードマンの
配置といい、さすがは「六本木ヒルズ」というところ。

 並行していくつかの業務が走っている。きょうは往訪以外にもミーティングで席を外し
ている時間が長かった。席に戻ったのを見計らって、そこにグループのメンバーが入れ
替わり立ち替わり報告や相談にやってきた。こういう日に限って折り返さなくてはいけ
ないメールも多い。ひとつのことに集中して時間がかけられなかったというのが、帰り
が遅くなったことの理由かな。

 リニューアルのその後もまだ平穏な日はやってこない。毎日のように解決しなくては
いけない問題がでてくる。いっぺんにこられても困るけれど、毎日毎日というのもね
ぇ・・・。

 本日の退社は22時56分。まだ仕事は残っていたけれどあしたに回して帰ってきた。
原宿23時15分の山手線外回りは超満員。そろそろ忘年会も始まっているのか、お酒
臭い人もいる。弊社も来週からいくつか呑み会の予定がある。気をつけようっと。

■12月12日

 寒々とした朝、けさは日の出前に起きだす。週明けだが8時半の出社は1番乗り。い
ったん7階まであがってからまた1階にカギを取りに下りる。早く出社したのは午前中
いっぱいかかってミーティングが予定されていたので、その前にチームへの指示事項
などをまとめておこうと思ったからだ。

 9時すぎからのミーティングは1時近くまでびっしり。その後もミーティングがいくつか
あったうえ、夕方からは来年1月に予定されているイベントの打ち合わせで外出してし
まったので、席を温めている時間が短く、処理しきれず積み残したものがちょっと気に
なる。

 夜の打ち合わせの待ち合わせは18時に銀座。このイベントは、かつての化粧品組合
時代の知り合いから、弊社の上司をパネルディスカッションの司会役にと依頼を受けた
もの。差詰め、本日のわたしは「付き人」もしくは「マネージャー」といったところ。おかげ
で資生堂パーラーでの夕食をご相伴に預かった次第。ごちそうさまでした。

 20時半過ぎに打ち合わせは終了。積み残した指示もあるのでいったん戻ろうかと思
っていると話すと、早く帰れるときには帰っては・・・との上司のあたたかいことばをいた
だき直帰することに。有楽町まで歩いて、地下鉄で一直線。スーパーに寄ってあすの
朝の食パンなどを買って帰っても22時だった。ラッキー。

■12月13日

 きょうは、うちのディビジョンの呑み会。わたしたちのグループのリニューアルお疲れ
さん会とあたらしいメンバーさんの歓迎会、そして忘年会を兼ねたものというもの。会社
近くのお店で20時スタートだったのだけど、うちのグループの何人かは時間を過ぎても
定常業務が終わらない。わたし自身も片づけたい仕事はいっぱいだ。

 飲み放題の時間制限もあるからと早く来てくださいと幹事さんはきがきではないない
という感じだったが、あすに持ち越せない業務もある。グループのメンバーからは、伊
藤さんは先に行ってくださいと言われた。でも、べつに上司面をするつもりも、いいかっ
こしいをするつもりもないけれど、一緒に行こうよ!ってことでみんなの仕事の区切りが
つくのを待つ。結局1時間半近く遅れての合流となった。料理も飲み放題の時間も残し
ておいてくれた幹事さんに感謝。

 リニューアルの前後の超多忙からは少し平穏な日々が戻ってきたが、それでも毎日
があっという間に過ぎていく。一生懸命がんばったつもりだし、今もがんばっているつも
りだけど、それに対して今ひとつ結果がともなっていない。細々な不具合はまだ解消し
ていないということもあるのだが、ほとんどがほぼ想定どおりに動き始めている状況の
中で、結果が思うように出てきていないというのは気がかりだ。

 「責任を感じる」というとちょっといいカッコしいなところもあるが、じぶんの色を押し出
していないという気持ちもある。調整型もいいけれど、たまには先導してみんなを引っ
ぱっていくということもあってもいいかもしれないなと思う。直近のこと、中長期的なこと
を上司と話し込むが、遠回しながら叱責されているような気がした。

 帰りの電車の中も、駅からの月明かりの道でも、何か打開策をと頭をひねるが、たっ
てこれという妙案がひねり出せたわけではないが、いくつかアイディアも浮かぶ。あし
た早速動こう。

■12月15日

 きょうは「言った言わない」で膠着状態となっているメーカーさんとのやりとりを担当者
から引き継いで交渉役を務めた。先方は女性なのだが、浪花の商人魂が全開で一筋
縄ではいかない。先方の言い分の矛盾点をつくが、絶対にあやまらない。とにかく「ご
めんなさい」とか「すみません」とは一切口にしないと決めているようだった。タフな交渉
だったが、結局、ほころびを見せながらも自説を曲げないしたたかさに根負け。条件闘
争でわずかな成果を勝ち取ったのみだった。メーカーとの交渉というものがタフなもの
であることを思いだしたわたしである。いやぁ、疲れた。

 網膜剥離で緊急入院していたグループメンバーが本日4週間ぶりに出社してきた。激
流のような4週間をともに過ごしていないので、とにもかくにも「浦島太郎」状態であるこ
とはまちがいない。べつに意地悪するつもりはないけれど、その間のことを逐一順序立
てて話してあげることってむつかしい。みんなまだ激流の中でもがいているというような
状態で、そうした余裕がないということもある。彼女には山のようにたまったメールを
徐々にひもといてもらうことでおおよその流れをつかんでもらうしかないというところか。
これもタフなシチュエーションだなぁ。

 網膜剥離というと殴られたとか、強い衝撃を受けたからと考えてしまうが、いろいろ原
因はあるのだそうだ。発見されたときの状態から、その後の治療の様子などをあらため
て話してくれたが、聴いているだけでも目の奥がじ〜んと痛くなってくるような気がし
た。

■12月20日

 ここ数日の厳しい冷え込みは少し和らいだようだ。きょうはOEMでオリジナル品を作っ
ていただいているメーカーさんがごあいさつにいらっしゃることになっていたし、今後アラ
イアンスを組んでいくことになっている某社を往訪する予定もあったのでスーツで出勤。

 スーツにネクタイって不思議なくらい暖かい。いつもよりも身につけている枚数は少な
いというのに寒さをあまり感じない。襟元がキチンとしまっているから? 裏地が付いて
いるから? 気持ちのもちかた? なんだろうね。

 きのうきょうと朝、ごはんを炊いた。おみそ汁も作った。ちょっと多めに作ってお夕飯用
にしておくというのもなかなか重宝だ。で、けさは、おにぎりも作ってみた。先週、お昼
をとばした話を書いたけれど、妻からのアドバイスが「おにぎりを持っていけばいいの
に」というものだった。お弁当だと作るのにも時間もかかるし、食べるのもちょっと時間
がかかる。おにぎりならミーティングの合間だってサッと口に入れられるじゃないって言
われたのだが、それはたしかに理にかなっている。

 考えてみれば、梅干しもいただきものの焼き海苔もたっぷりある。ということで、きょう
はおにぎり持参で出勤した。常備している梅干しは大ぶりなものだから、タネを取って
梅肉だけを芯にして握ればよかったのだが、そのまま入れて握ったのでかなり大きな
おにぎりになった。それを2つ。結構な昼食になった。

 手際よくなったといっても、朝出勤前におみそ汁を作り、洗濯機を回し、おにぎりも作
って、不燃ゴミも出してというとなかなか忙しい。でも、なんかしばらくおにぎりづくりに
はまりそう。あしたはツナ缶を切って、ツナマヨネーズのおにぎりにしてみようかな。

 夕方、往訪から戻ると、トラブル発生の悪いお知らせが待っていた。で、本日もメドを
つけるまで残って退社は22時45分。乗換もスムーズで23時33分に帰宅できた。今夜
はちょっと時間があるよなぁって思えちゃうところがこわい。

■12月26日

 年内営業日があと3日。本日は午前・お昼と新橋、五反田に往訪。その後は社内で
過ごすが、本日もまた何も具体的な成果が見えないままに一日が過ぎたみたいな気
がする。仕事の段取りが悪いのかなぁ・・・。なんだか一向に片づいていかないような
気がして自己嫌悪。

 ある部分の仕様書はじつはわたしが書くものだったと聞かされたり、デリケートなお
問い合わせに対する対応を引き受けたり、これもじつは「いとうさんの仕事」ですよとい
われたこといくつか。こなしきれていないのはじぶんの力のなさか。

 そういえば、けさは眠りが浅く朝方にはおよそじぶんらしくない(?)夢を見た。どうや
ら親族が集まって食事に出かけたようだ。わたしの前にはどうも頼んだものとは違うも
のが運ばれてきたらしい。そこで、何故かわたしは「気に入らない」とばかり席を立って
しまった。そんなことってしない人のはずだけど、潜在意識にはそういう「我慢」が積み
重なっているのだろうか。

■12月28日

 ことしの営業最終日、同じグループのメンバーの話し声に目を覚ます。ここはパーテ
ーションで区切られた休憩室のソファーだ。きのうは弊社の忘年会だった。2次会、3次
会と流れていって、なんやかやで気がつけば朝6時。すでに電車は動き出していたの
で、会社のビルの下まで歩いてきて、何人かはそのすぐ先の地下鉄駅への階段に向
かっていった。わたしはというと、ここから帰ってもすぐにとんぼ返りとなることは明らか
なので、会社で仮眠をとることを選択。同じ選択をしたIくんと社内に戻る。

 年長者の特権でひとつしかないソファーを奪い取り爆睡。うちに帰るという選択肢より
はいい選択だったとは思うが、Iくんに申し訳ないのと、たまたまきょうもスーツだったの
がちょっとマイナス点。やっぱり、忘年会は休みの前がいい。3時間弱の爆睡、目覚め
は悪くなかったが、朝イチのミーティングではしゃっくりが出たりした。他の参加者には
お酒臭いって思われたんじゃないかなぁ・・・。「ほんといい大人がねぇ」って感じ。

 それでも、会社で仮眠という選択肢は正解だった。いつもどおりの時間に出社フラグ
が立てられたから。一旦家に戻ると地下鉄駅に向かったうちのTさんは、午後出勤にし
ますという電話を12時すぎにかけてきた。Hさんに至っては、家に電話をしてもでない
し、携帯にもでなかったらしく、お昼過ぎまで消息不明になっていたそうだ。同じく午後
から出勤してきて事なきを得たが、気をつけましょうね、おたがい。

 年内最後の営業日は20時40分に退社。夕方になって「えっ!」と驚くことが発覚した
けれど、なんとかすばやい対応がとれた。なかなか平穏無事な日々はやってこないと
いう感じ。休み中に大きなトラブルが発生しないことを祈るばかり。もっとも、名古屋に
帰ってしまうので、何かあってもすぐには対応できないのだけど。
 

▲このページtopへ

◆生活編

■12月3日

 自宅の「お客さま検査」のために日帰りで名古屋に帰る。その新幹線の中で、このと
ころ忙しい中で時間を見つけては読み継いできた重松清氏の「流星ワゴン」を読み切
る。これはやばいだろうなぁと思っていたけれど、案の定、ラストに向けて涙が止まらな
くなる。いくら「泪目族」といっても、さすがに人目が気になるが、止めようとすればする
ほどますます涙がほほをつたう。となりの中年サラリーマン氏は爆睡だったことが救
い。それにしても前評判どおり、男というか父親には確実にツボにはまる小説だった。

 63歳、まだまだこれからというときに父親を亡くした。強面だったが、けっして昔気質
のこわいおやぢではなかった。というより、今風のこどもに甘い父親だったような気がす
る。自営業で土日に休めない仕事だったこともあって、ゆっくり一緒に過ごすをできない
分を、ほしいモノを買い与える、やりたいということを自由にさせるということで穴埋めと
考えていた父親だった。それにすっかり甘えて、わがままに生きてきたわたしだ。今思
えば、いい親子だったとは言えないかもしれない。もっと、素直に本音が語れる親子で
いられたらよかったなと、今になって悔いを感じる。親孝行もできずじまいだった。もし、
今生きていたら、ことしの廃業・転職・自宅の建て替えといった人生の大転換について
は賛成してくれただろうか?

 わたしとて偉そうなことは言えない。こどもたちのことをほんとうに理解し切れている
のだろうか。理解しているようなフリをしているうちはかえって利害の明確な他人同士
の関係よりたちが悪いかもしれない。「親子は朋輩にはなれない」というフレーズがあ
ったが、今、24歳となった長男と、大学生になってお酒の味を覚えはじめた次男と、ほ
んとうに胸襟を開いて酒を酌み交わせるだろうか。「がんばっているか?」「がんばれ
よ!」って、しごく耳あたりのよい便利なセリフに逃げてはいないだろうか。涙を流しつ
つ、のどに苦いものを感じてページを繰っていたわたしだ。

 バイトに出かける前の次男、バイトから帰ってきた長男とホンのわずかの時間言葉を
交わすことができた。いい父親と思ってくれているかどうかはわからないが、彼らのた
めに父親としてできることはしてやっているよなぁと、ちょっと満足を感じつつ、帰りの新
幹線に乗り込む。夕食後は眠くて眠くてしかたなかったのだが、帰りののぞみの中で
は今売れている「生協の白石さん」を読んで帰る。重くならずさらっと、でも機知に富ん
だ対応・・・大事だよなぁ。

■12月4日

 心配していた大きなトラブルを知らせるBADニュースはなかったので、休日出勤はと
りやめた。お天気もよくなかったこともあって、午前中にスーパーに買い物にいった以
外はうちの中でのんびりと過ごした。かっこよくいえば英気を養ったというところか。そ
れでも、掃除機はかけたし、トイレ掃除もした。食事も、休みの日ぐらいしか時間をかけ
られないからと、安かったミンチで肉団子を作ってお鍋にいてみたり、同じく安く買えた
小アジを唐揚げにしてみたりした。どちらも半分以上を冷凍しておいたので、忙しいとき
のお役立ちアイテムとなってくれるだろう。そうそう、お米がなくなった・・・。

 日中も寒かったのでほぼ一日、エアコンでの暖房を入れている。ワンルームなので
すぐに暖かくなるのはありがたいけれど、乾燥してくるのでどうにも顔がつっぱるような
感じがしてしかたない。ついでに眠気も襲ってくる。もっとも、きのうからきょうにかけて
もせっかくの休みなのに6時間弱しか眠っていないから、まだ眠り足りないのかもしれ
ない。あたらしい一週間を迎えるにあたって、今夜は早く眠ろう。

 夕方、冷たい雨に濡れながら、某新聞販売店の若い男の子が集金にきた。じつは、
7月からとりはじめたこの新聞、8月のお盆過ぎに7月分を払って以来、いちども新聞代
を払ったことがない。べつに支払を拒否しているわけではないけれど、いちども集金人
さんと出会っていなかったのだ。平日はたしかに帰りが遅いことが多いからなぁと思う
けれど、土日はそれほど毎日のようにうちを空けていたわけではない。宅配便の不在
連絡票ではないが、ひとことメモでも入れておいてくれれば連絡もついたろうに。

 ということで、いきなり4ヶ月分といわれたので、ちょっと待ってよということになる。CM
ではないけれどクレジットカード払いにするという方法もないではないが、このサービス
では他の新聞に乗り換えるのもありだなって気もするから、そうはしたくない。若い集
金人さんは、半分でもいいですというので、とりあえず8月と9月分を支払っておく。新聞
代も2ヶ月まとめてといわれるとちょっと大変。TV-CMの阿部寛の「しまったぁ・・・」とい
う気持ちがよくわかる。

 夕方遅くなって雨もあがったので、なくなったお米やら珈琲の買い置きやらを買いに
自転車でディスカウントスーパーまで出かけようかどうしようかと迷っていたけれど、エ
アコンの効いた部屋から出るのが億劫でやめてしまった。こうして寒いからと出不精を
していると、冬が終わる頃には「でぶ」性になっているかもしれない。

■12月10日

 スッキリとした青空がひろがった土曜日。朝は8時に起床で睡眠は6時間、きのうまで
よりはちょっと長め。スッキリ目覚めることができた。

 トーストの朝食のあと掃除機だけかける。拭き掃除は後回しにして休日出勤のためう
ちを出る。氷川台のホームに入ってきたのは「新線池袋」行き。次の小竹向原でとなり
のホームに停まっている新木場行きに乗り換えるのがいつものパターン。新線の駅か
らはJRへの乗換が遠いからだ。きょうはふと思い立ってガラガラになった新線池袋行き
でゆったりと腰かける。

 改札をでて、コンコースにあるQBハウスに向かう。3席はすべて埋まっていたが待っ
ている人はいない。うまくすれば10分待ちくらいでやってもらえそうだということで中に
入る。1000円でカットだけというこのお店。以前から興味はあったのだけど入るのはは
じめて。

 シャンプーも顔そりもしないので、水回りの設備がいらないし大量のタオルも必要とし
ない。コンパクトに機能をまとめていて効率がよさそう。肝心の出来映えはまずまず。
床屋に癒しやリラックスの時間や施術者との会話を楽しむことなどをを期待しないわた
しにとってはじゅうぶん満足できる。結構伸びてしまったのでかなり切ってもらったお店
にとっては儲からない客だったけれど、うたい文句どおり10分で完了。時間的にもコス
パが高い。

 わたしのあとには高校生とおぼしき男の子が2人順番待ちしていたけれど、床屋に行
くといって親から3000円もらってきてここにくれば、結構いいお小遣いができるね。

 11時頃に会社に着く。退社は17時前。夕食は、きのうからの予定どおり、ピーマンの
肉詰めなど。片づけをしているところにA新聞の販売員氏がやってきた。12月いっぱい
で契約期限が切れるのだ。まだ先日、8月9月分を払ったばかりだけどなぁ・・・と思い
つつ、とくに他に替えなくちゃいけない理由もないしと、半年間だけ継続。洗剤(300g)
を7個もくれた。

 テレビの「30人31脚」で大泣きしたあと、お米を買いにドンキへ。5kg990円というのも
あったけれど、なんかちょっとここまでケチケチするのもちょっと淋しいかなと、「山形産」
のあきたこまち、10kg2899円を買ってきた。って、これもちょっとケチかな? でも、新
米だぞ。なかなかのコスパだと思うけれど。

■12月13日

 またまた一段と寒さが増した。名古屋では雪が積もったというニュースも伝えられて
いる。今、建て替え中の自宅では外構工事の最中のはず。今週末には引き渡しの予
定だけど、この雪で遅れなければいいのだが。

 寒くなるのと時をあわせて、かかとにあかぎれができた。毎年のことだけど、これが
結構痛いし、いったんひびが切れるとなかなか治ることがない。これから春先まで長い
おつき合いとなる。東京の初雪も早かったけれど、あかぎれも早い気がする。

■12月18日

 生活の基盤が東京に移って半年。名古屋へは何かに区切りをつけるとか、何かを決
めるために帰るということが多い。今回はその中でも大きな区切りでもある「自宅の完
成引き渡し」での帰省だった。でも、何故かひとつ区切りがつくと、また新たな問題が
生まれてくる。一向にスッキリとした展望が開けないという思いもある。きょうの午後、
降りしきる雪を眺めながら、まだがらーんとした新居の中で妻と棚を組み立てていた。
それはそれでとてもとても幸せなことだけど、あらたな課題のことを思うと、100%スッ
キリと笑顔になれないところもある。

 次から次から問題はわき出してくるけれど、ありがたいのはその課題をクリアすること
に妻が一緒に立ち向かってくれること。きのうきょうで読み切った中村航の「リレキショ」
にこんなフレーズがあった。「住んでいた場所とか学校とか仕事とか食べ物とかね、環
境が違えば性格とか習慣とかが違うのは当たり前でしょ? だけどね、物事に対する
スタンスが一緒ならね、これから起こることには、同じ態度で取り組めるでしょ?」。そ
う、スタンスとか価値観ということなのだろうね。

 ひとつ前に読んでいた重松清の「ニッポンの単身赴任」ではくり返しくり返し語られて
いたが、仕事だけでなく、夫婦にも親子にも「リフレッシュ」という意味で単身赴任だっ
たり、離れて生活してみるというのもひとつの積極的な選択肢かもしれない。

■12月19日

 名古屋は58年ぶりの大雪とテレビが伝えている。きのう降りしきる雪の中でのぞみ
に乗った時はまだ積もっていなかったけれど、テレビで見るけさの名古屋駅は、23cm
の雪に埋もれていた。きのうの「のぞみ」は20分遅れだったが、けさは60分遅れという
ことらしい。いやぁ、きのうでなくてよかった。

 わが家の引越は20日。ほんとうは今日の午前中はその準備などで買い物に走って
いるはずだった妻からは、「もうお手上げ」というような苦笑いのようなメールが届いた。
まぁ、お天気には勝てないやね。化粧品やさん仲間からも「大雪だぁ」と、なかばやけく
そとも思えるメールが届く。この年末にこの積雪では雪になれていない名古屋として
は、客足にまともに響くだろうな。

 地下鉄の駅に「大晦日から元旦にかけての終夜運転」の案内が貼ってある。うちの
アパートの集合ダストボックスには、年末年始のゴミの収集についてのお知らせが貼っ
てある。社内では、どこかからのサービス品なのか、お正月特大号のテレビ情報誌が
ご自由にどうぞと置いてあった。今週末は3連休ということもあって、ことしもあとわずか
という気ぜわしさが募ってきた。考えてみればふつうに月が替わるだけのことなのだけ
ど、なぜか「今月中に」=「ことしのうちに」と切りをつけたくなるのは何故なんだろう。

 そうそう、あたらしい年といえば、わたしたちの年代では、新年とともにお箸や下着な
どを新品のものに替えるという習慣がある。そんなことを販促のキャッチコピーに使えや
しないかと話していたら、20代のメンバーには「?」マークがいっぱい浮かんでいた。う
〜ん、元旦からスーパーは開き、コンビニは24時間開いている今の時代、そんな習慣
って化石化しているんだなぁとしみじみ。

■12月23日

 眠ったぁ! 昨夜は本を読んでいて眠りについたのは2時半だった。日頃の癖という
か性というか、めざましテレビの占いの時間である7時前にいちど目が覚めたが「きょう
は休みだぁ」と二度寝。なんどか目が覚ましては「いいお天気みたいだな、おふとん干
すといいなぁ」と思いつつ、結局10時半まで眠る。8時間睡眠、体調バッチリで起きだし
て、すぐにふとんを干す。

 名古屋はまた雪が積もっているらしい。化粧品やさん仲間ふたりからそれぞれ悲鳴
にも似たメールが届く。寒いだけならともかく、雪に慣れていない名古屋としては客足
にも物流にも影響必至だ。雪の影響といえば、きのうの帰りに立ち寄ったスーパーで
は、レタスとキャベツが暴騰していた。

 ゆっくりブランチして、予告通り「大掃除」にとりかかる。まず掃除機を念入りにかけた
あと、室内を拭き掃除。ふだんはさわらないエアコンを掃除し、サッシの窓と網戸を拭
く。きょうのところはリビングまでで、キッチン(というほど広いわけじゃないけれど)から
先は後日と思っていたのだけど、「お掃除嫌い」のはずのわたしのツボに、何故かはま
ったみたい。レンジフードを掃除し、フィルターを洗い、システムキッチンの収納棚も拭
いた。

 走って帰ってきてからシャワーついでにお風呂も掃除したので、これで残ったのは、ト
イレと冷蔵庫の中、洗面化粧台だけ。この3連休中にはじゅうぶん終われそうだ。

 掃除に一区切りつけて4時少し前に走りにでる。光が丘公園に出かけるのは久しぶ
りという感じ。落葉樹はすっかり葉を落として冬ざれた風景となっていた。今月に入って
走ったのは2日目。からだは正直で、ちょっとペースを上げようとすると息があがりそう
になる。焦る必要もないのでゆったりした気分で走ってくる。本日は13.8km、気持ちよ
かった。1月下旬にはハーフマラソン、2月には青梅マラソンの30kmが待っている。もち
ろん記録を狙いに行くことはないけれど、苦しくならずに走りきれるだけの走力は保っ
ていたいところ。

 夕食は、キムチ鍋。といっても、キムチはないので、このあいだドンキで買ってきたお
徳用のキムチの素で味を整える。タラとかの魚介類があるとよかったのだけど、昨日買
ってきた半額のひき肉で肉団子を作って具とする。具材の量は加減したつもりだったけ
れど夕食だけでは食べきれなかった。あしたの朝は雑炊かな。

■12月24日

 クリスマスイヴのきょうも、お昼ごはんを食べてから出社。着いたとき社内はうちのグ
ループのKさんひとりだけ。その後、同じうちのグループのMさんが。結局夕方わたしが
施錠して帰るまでに出社したのはその3人だけ。まぁ、クリスマス・イヴだもんねぇ。

 池袋に戻って、西武デパートの中の郵便局で少し足りなかった年賀状を買う。そのま
まLoftで手帳を物色。ここしばらくはパソコンと携帯でスケジュールを管理していたけれ
ど、やっぱり手帳があったほうが都合よさそうだ。システム手帳にしようか、1年ごとの
手帳にしようか迷ったけれど、結局、Loftでもっとも売れている「ほぼ日手帳」にした。
宮仕えがんばるぞ!

 そのあとユニクロでジーンズやらボクサーブリーフなどを購入。古い人間といわれよう
と、わたしとしては、手帳だけじゃなく下着もお正月から新しくするつもり。

 池袋のデパートでは、特設の売り場も設けてクリスマスケーキを売り込んでいた。ふ
だんから人気らしいケーキ屋さんには長蛇の列ができ、「最後尾はこちら」というプラカ
ードもでていた。日本人のイベント好きぶりがよくわかる。ひとりで食べられるくらいのブ
ッシュ・ド・ノエルがあればって思ったけれど、ひとりでケーキというのもつまらないので
やめた。

 ひとりで過ごすクリスマス・イヴってもしかしたら生まれてはじめてかもしれない。こど
もの頃はお店の従業員さんも交えて大勢でプレゼント交換をしたりしていた。じぶんが
親となってからも、毎年、お店を閉めたあとにクリスマスケーキをこどもたちと食べるの
が習慣となっていた。

 長男が大学生となった頃からは、「きょうは彼女と過ごすから・・・」とイチ抜けする日
はいつやってくるのだろうと期待していた。結局、昨年もこうして家族で迎えるクリスマ
スも悪くはないよなぁ・・・と一家で迎えたものだった。それが、大学生のこどもたちでな
く、わたしがイチ抜けするとはおよそ想像もしていなかった。名古屋ではどうしたかな
ぁ?

■12月29日

 社内で斡旋となった弊社のロゴ(キャラクター)が焼き印されたどら焼きをおみやげに
新幹線に乗る。新横浜と小田原に停まる「ひかり」は東京駅では3分の1程度の乗車率
で発車。もちろん指定席はグリーン車も含めて売り切れていたので、小田原から名古
屋の間は満席となった。

 約2時間の移動のお供はあさのあつこの「バッテリー4」。ようやく文庫が今月出たと
ころだ。巧と豪のバッテリーが壁にぶつかりそこからひとつ上の高みに達することがで
きるかというあたり。試合の場面がほとんどないのでちょっと地味だけど、ひきこまれ一
気に読み切った。はやく次が読みたくなる。

 降り立った名古屋、明るい冬晴れは東京と変わらないけれど、気温は確実に低いよ
うだ。寒いというより空気の冷たさを感じる。街のそこかしこに溶け残った雪や雪だるま
が見うけられる。戻って最初の仕事は「生ゴミ出し」だった。うちのまわりはきょうが年
内最終の収集日だったようだ。

 引っ越し後の荷物の片づけは、みんなでがんばってくれたようで思ったよりは進んで
いた。わたしの分担はCDやオーディオまわり。これが終わると2階にも小さいながらく
つろげるスペースが生まれる。年内にそれを実現するのがわたしに課せられた責務と
いうところ。

 といいつつ、夕食後は親友と飲みにでる。わたしは年末年始休暇なのだけど化粧品
やさんの彼は当然営業中だ。誘い出すことで彼の奥さんにも申し訳ないとは思うけれ
ど、月に1度あるかないかということなので、ここは許してもらおう。飲んで唄ってのフル
コースとはなったけれど、1時過ぎには帰宅。彼も翌日に響くような呑み方ではなかっ
たはずだからだいじょうぶでしょう。それにしても、結構自信があった「ゆず」の点数が
伸びず、冗談交じりで試してみた「六甲おろし」がまたまた最高点というのはどういうい
こと?

■12月30日

 夕方、きのうに引き続きわたしのお仕事となっている片づけのために、となりの区に
できた巨大なホームセンターに出かけた。大きな駐車場なのだがほぼ満車。店内も人
でごった返していた。街の小さな小売店が大変なのはこの盛況ぶりをみればよくわか
る。厳しい世の中になったということ。うちが廃業したあと、ならびの金物屋さんが夏過
ぎに、となりのお米やさんが11月末で廃業された。夜になるともともと暗かったうちの
前の通りはますます暗く淋しくなってしまっている。ちょっぴり責任を感じないでもない
が、これも時代なのかもしれない。

■12月31日

 おだやかな冬晴れの大晦日。きょうのわたしの仕事は神棚と車をキレイにすること
だ。これは去年までもずっとわたしの仕事だった。でも、この1年で大きく変わったの
は、それを余裕をもって取り組めること。

 去年までは営業時間前の朝早くから車を洗ったりしていたし、神棚に至っては紅白
歌合戦を見ながらお飾りを供えていたりしていた。それがことしは、お店のお客さまを
気にすることもなくじぶんのペースで取り組めた。午後には、妻と車でお正月のお花や
ビールなどを買い物に出かけた。こんなことって結婚してはじめてのことだねって妻が
いう。考えてみれば、生まれた年から商売をしていた家に育ったわたしにしてみれば、
こんなゆったりとした大晦日って生まれてはじめてだ。

 ひそかにキャリア転職のアプローチはしていたけれど、正直なところ、去年の大晦日
には1年後にはこういう過ごし方をしているなんて思いもよらなかった。今さらながら、
ほんとうにことしはすさまじいまでの変革の年だった。

 そんな1年が終わろうとしている。一気に駆け抜けたわりには最終日は嘘のようにお
だやかだ。あまりにも振幅が大きかった分、最後はそれくらいでちょうどいいのかもしれ
ない。あたらしい家の湯船にゆったりと身を沈めながら、「よかったんだよなぁ、これで」
ってしみじみ考える。

 よかったんだよね、みんな。
 

▲このページtopへ

◆自宅建て替え編

■12月3日

 日帰りで名古屋に帰る。変革の年2005年、いくつも同時進行した大きなできごとの
ひとつ、「自宅の建て替え」がかたちとなろうとしている。工事は順調に進んできた。そ
して本日が「お客さま検査」という段取り。無理を言って週末土曜日の午後にとお願い
していた。

 施主立ち会いの下で、注文した仕様どおりに完成しているかどうかと、使い勝手の説
明を受ける。躯体完成時に中を見せてもらったときに、思っていたよりも狭いかも、小さ
いかもと感じていたが、南側の窓、2階の幅広いベランダから明るい陽差しが入りこむ
午後に入ってみた「わが家」は、まぁまぁ快適な伊藤家の営みが実現できそうだ。この
歳から長いローンをかかえることにはなったが、わたしも家族のために「かたち」あるも
のを残せることになった。クリスマス前には入居できる予定だ。家族に大きな「クリスマ
スプレゼント」ができたというところ。年末年始の休暇で帰ってきたときは、家長として
大きな顔ができるかも。

 しかし、これをこまめに掃除して、あれは半年に一回は外して点検をとか、結構メンテ
ナンスが大変そうな説明を受ける。説明する現場担当者のその横で最初からお世話に
なった営業さんは、にこにこ笑いながら「まぁ、そうは言ってもちゃんとできる方は少な
いですけれどね」と言う。それを聴いてちょっと安心する。

■12月17日

 快晴の東京から名古屋に戻ってきた。富士山がくっきりと美しい姿を見せてくれてい
た。北陸などは12月としては記録的な豪雪ということだが、富士山の雪は意外なほど
多くない。

 本日、建て替えを進めていたわが家の「完成引き渡し」を受ける。土日しか時間がと
れないということで、今回も無理を言った。暮れなずんできた午後5時、工事の担当者、
営業担当者立ち会いの下でカギを受け取る。同時に山のような書類に判を押していく。
これは何々の書類ですと説明する担当者も大変だけど、こちらも朱肉を押す手が震え
てくる感じ。

 これで一世一代の大事業に一区切りがついた。ガスはきていないのでお風呂には入
れないし、煮炊きはできないが、電気と水道はきているので、今夜は引っ越し前の何も
ない新居にふとんを持ち込んでひとりで泊まる。ちょっとだけ誇らしい気分。

 テレビのない夜は、ちょうど東京の今の住まいに、部屋の寸法を測りがてら寝袋持参
で泊まったときと同じだ。早々に眠りについてこのところの睡眠不足を解消すべきか、
誇らしい気分の余韻を楽しみながら本でも読もうかと考えながら、コンビニで調達してき
た缶ビールの栓を開けたわたしである。

■12月20日

 本日、名古屋では引っ越しのはず。20時すぎにうちに電話を入れてみる。先日の大
雪の影響が残っていて、朝の道路凍結で引っ越しトラックの到着が1時間ほど遅れた
ので、夕方近くまで荷物の搬入がかかったという。ダイニングもリビングも荷物の山で
お夕飯は作れそうもないので外食してきたと言っていたが、なんとか新居でゆっくり眠
ることができるらしい。何もできないのが申し訳ないけれど、ホッと一息。

▲このページtopへ

 




<戻る>       <次へ>