『阿蘇』 パノラマは微笑まず〜100km奮戦記〜 
 
 52.5km付近。西瓜を手にまだ元気!
 写真撮影・提供  MISTAKERさん

"



1998年5月


〔註〕文中の固有名詞は、パソコン通信niftyの「FWELL」のランニング会議室でのハンド
ル名(ニックネーム)です。


 この上なく晴れ渡った青空の下を、飛行機は熊本空港に向けて、ゆっくり高度を下げて
いく。その時、視界にくっきりと阿蘇のやまなみがとびこんできた。根子岳・中岳・烏帽子
岳・・・自分の脚でのぼらなくてはいけないそれらをとりまく外輪山の高さには武者震いが
する。あした、このパノラマは、私をどのように迎えてくれるのだろうか・・・

 23日(土)午前5時。明るくなりかけた長陽村福祉センター「ウイナス」から、いよいよ
長い一日が始まった。昨日は熊本で30度を超えたという。標高の高いここ阿蘇でも27度
くらいまで上がっていたようだ。今は、朝のひんやりした空気が身を包んでいるが、予報は
「晴」ということからすれば、暑さとの闘いも考えなくてはならないかもしれない。スタートし
てしばらくつづく坂を上りつつ「涼しいうちに行けるところまで行く」と決める。300mほどで
右に折れ、道はゆるやかに下りはじめる。50km4時間30分目標という桃太郎さんが飛
び出していき、そのあとを、ラン坊さん、MIMAさんと併走しながら追う展開となった。体感
的には5分30秒ペースだ。ゆるやかに下りつつ、バイパスを渡ると「5KM」の表示とエー
ドのテントがあった。時計に目をやると「24’44”」思わず声をあげてしまう。そんな速いは
ずがない。さらに少し下って白川にかかる橋を渡ると、一転、わずかづつながら上り基調
になった。雲の切れ間から朝日が顔を出し、正面から私を照らしてくる。左手の先に根子
岳が見えてくるが、頂上は雲におおわれ、あの個性的なギザギザしたかたちを拝むこと
ができない。からだが目覚めてきたのか、ややスピードをあげるがまだまだ快調だ。

 10km通過は48’26” この5kmをキロ4’44”ペースだ。集落では、早起きした応
援の人たちに励まされる。このあたりから、まわりにFWELLerがいなくなる。水田の水面
がきらきら輝いている。景色を楽しむ余裕も十分、気力も充実している。南阿蘇鉄道の踏
切を越え、右に左にと曲がりながらしばらく進み、バイパスに出、その歩道を行く。正面に
私の挑戦を待ち受ける外輪山が見えてくる。そしてぐんぐん近づいてくる。歩道の先に黄
色いFWELL旗が見える。MISTAKERさんとぴょっちが応援してくれているのだった。
MISTAKERさんの構えるカメラに微笑んだつもりだが、まだここではひきつってはいなかっ
たはずだ。

 20km 1゜36′22″ 目標よりやや早いが、「涼しいうちに稼ぐ」という意味では悪
くないと思うことにした。しばらくして桃太郎さんに追いつき、一旦先行する。高森町村山
の交差点で、スタッフから「60位」という声がかかる。このペースで60位?とがっくりくる。
先頭集団はどんなスピードで行っているのだろう。さぁ、いよいよ前半の難所の外輪山へ
の上りだ。2.5kmで一気に350mを上ることになる。入口の少しを走ったが、顔中がぽ
っと火照ったようになる。すぐに思い直し、がしがしと歩くことにした。22.5kmのエード
で、水を飲んでいる間に、桃太郎さんが駆け上がっていった。桃太郎さんは、前後半2つ
の急坂を決して歩かないことというのが、去年からの宿題なのだそうだ。つづらおりの向こ
うにどんどん遠くなる桃太郎さんの姿を目で追いながら、なお私は歩き続ける。ウルトラ経
験の違い、トレイルランの経験の違いが如実である。やっとの思いで上りきると、眼下に
外輪山の外側のうねうねとひろがる緑のおだやかな山並みがひろがっている。きれいだ
なと思ったのもつかのま、小さなアップダウンのあと、コースは今度は一気に下りはじめ
る。この下り、「飛ばしすぎるな」と事前にアドバイスがあったある意味での難所である。セ
ーブしながら走ろうとすると、坂道トレーニングのなさ、クロカンの経験のなさがまともに響
いて、両足首の前が痛くなってくる。かといって、かっとぶ脚力はない。この区間のツケが
あとでまわってくることになる。

 下りきって30km。小さな集落をとおり抜けると木立の中の気持ちのいい道を、緩や
かに上り下りを繰り返しながら進んでいく。空には薄い雲がかかり、直射日光にさらされる
ことも少なく、暑さはさほど感じないのだが、のどは乾く。5kmごとのエード、そしてその
中間にあるドリンクのみのエードはオアシスだ。しかし、残念なことにエードの食べ物はバ
ナナにビスケットくらいで、おなかの足しになるものがない。飲み物もスポーツドリンクと水
ばかりだ。脱水とガス欠が恐いので、それらを口にするがちょっと飽きてきたのも事実だ。
35KMで桃太郎さんに再び追いつき、少しことばを交わしたあと、先行する。この先、FW
ELLerに限らず、前後のランナーの間隔が開き、一人旅になる。黙々と上りつづけて行き
40km。根子岳の姿が左手に見えるはずだったが、あいかわらず頂上付近は雲におおわ
れていている。

 フル地点通過は、3゜34′50″ ゆるやかな下りがつづくのだが、またまた、足首の
前側が痛くなる。下りの走り方を練習しなくちゃなぁと、走りながら考えるが、後の祭りで
ある。思えばここまで平坦なところはほとんどなかった。距離を積んではきたが、坂道山
道に対応した練習はしてこなかった。一番長い距離をひとりで走った知多半島LSDも、距
離にこだわり、平坦な岬巡りを選んでいた。これなら、距離は短くなっても半島の背を越え
るルートを走るべきだった。・・・と走りながら考えている。「量」を追うだけでなくて、「質」も
追求すべきだったんだなぁ・・・とも。

 50kmをすぎ、波野村の集落に入ってくる。坂を下って右に折れたところで、トランジッ
トだ。まだ到着するランナーが少ないせいか雰囲気がのんびりしている。秋田の時は手前
でゼッケンをチェックして到着時にはすぐに手渡してくれた荷物だが、ここでは、自分で取
りにいくまで受け取れない。初めて食事らしいものとして「おにぎり」と「そば」があった。お
にぎり2個とおつゆのほとんどないおろしそばを食べる。今回はシューズもウエアも変えな
いので、タオルで汗をぬぐってすぐに荷物を返そうとしたが、どこで渡すのかよくわからな
い。受け取ったテントに返せばいいと気がついて、そこにいた高校生くらいの男の子に渡
す。申し訳ないが、もうひとつテキパキとしていないのが気になる。心にゆとりがないのか
もしれない。焦る必要はないのに・・・休憩は約8分で走り出す。

 前半50kmが、4時間14分19秒。「涼しいうちに少しでも貯金を!」という狙いには
成功したが、どうも気持ちに「焦り」があったように思われる。これが、後半に私を苦しめる
ことになる。

 ストレッチも中途半端にスタートしたことにも「焦り」があったのだろうか。先を急ぐ気持ち
は、後半のきつい上りをはじめとする残りのコースの厳しさにおびえるあまり、脚の出るう
ちに少しでも先へという心の余裕のなさだったのだろう。

 県道を右折して長い緩やかな下りの途中のエードで西瓜をもらう。それを手にして走って
行くと、すぐにまたFWELL旗が見える。MISTAKERさんが応援してくれていたのだ。冷た
いゼリードリンクを差し出してくださったのだが、西瓜も手にしていたし、中間点でもしっか
り給水していたので、受け取らずあいさつだけして先を急いだ。しかし、これはあとで後悔
することになる。

 この区間は比較的平坦だ。キロ5分を少しずつ上回ってきているがまだ、サブ9には十
分に余裕がある。雲が少し厚くなってきて、風も出てきた。ざわざわと杉林の葉を鳴らす。
その林の中で、ずっと応援しているらしい女性の方から「20位です」と教えられる。とっさ
のことで即座に理解できなかった。高森の坂の手前の60位から、ここまでで40人も抜い
たとはとても思えなかったからだ。

 産山村に入って、のどかな山あいの道を走り続ける。また、雲が薄くなって、柔らかな
日差しが今度は背中から照りつける。暑いというほどではなく、予想していたダメージはう
けずに済みそうだ。けれど、少し道が上り始めると、ひざと足首が熱くなってくる。下り坂を
うまくこなせなかったツケが今やってきているようだ。次第に走りが重く感じられるようにな
ってきて、顔が火照るような、血がのぼってくるような感じまでするようになる。60kmから
70kmにかけては、キロ5分30秒近くまでペースが落ちた。体感的には6分を大きく上回
っているように思えた。計算上は、まだサブ9の可能性がなくなったわけではなかった。し
かし、この走りでは、それが可能になるとは到底思えなかった。加えて、おなかがすいて
きた。MISTAKERさんの好意に甘えておくべきだったと思うが、後の祭りである。そして、こ
の間は、ほとんどが前後にランナーがいない一人旅状態がつづいた。途中、たまりかねて
「くそーっ」って叫んでみたが、どうにもならないことは明白だった。

 20kmもあったように感じられた長い長い10kmが終わり、ようやく「70km」の看板
を見つけた。さぁ、エードだ。今、楽しみはそれしかない。一言二言でも言葉を交わせる
のもうれしい。そして何といっても、早く給水しないと、脱水症状になるかもしれないなどと
も思われた。ところが、ここまでは、すぐに、あるいは手前にあったエードがなかなかない
のだ。田んぼの中をゆるやかにうねるように進む道の先に目をこらすが、一向に見えてこ
ない。あの建物の向こうか? あのカーブの向こうか? と、じりじりしながら進む。ボラン
ティアの都合で、ここにはエードを設営できませんでしたという看板を見落としたのだろう
かなどと考えたりもする。じれにじれた頃、ようやく小学校の建物とその前にあるテントが
目に入ってきた。トイレ設置の関係なのだろうか? それにしても、この間、1.5kmは過
ぎていたような気がする。しかも、それまでの左側と違い、道路の右側にあるのだ。でも、
着いてしまえばそこはオアシス。文句は言うまい。ここでバケツの水を柄杓ですくい2度3
度と頭からかぶる。少しはすっきりしたようだ。「何を飲みます? スペシャルにビールもあ
りますよ」という声にテーブルをみると、ほんとに缶ビールに紙コップをかぶせて置いてあ
る。一口飲んだら気持ちいいだろうなぁと思ったのだが、「まだ70kmだから遠慮しておく
よ」と後ろ髪を引かれる思いで走り出した。

 走り出してすぐ、道路工事の砂埃の横をすり抜けると左に向かってわずかの区間だが、
少し急な上りがあった。たまらず歩き出してしまった。あいかわらず、膝も足首も熱をもって
いるような感じがする。「癖にするな」と、頭は命令する。脚は「歩け」と反抗する。かろうじ
て頭の命令が勝って、ここでは走り出したものの、ペースはがっくり落ちている。幸いにし
て、後続もずいぶん離れているようだが、だらだらとした上りが気持ちをいらつかせる。自
分のふがいなさを、コースのせいにしている自分が情けない。「後半追い込み型」なんて
いうのを自慢しているのに、前半果敢にいったことが失敗だったと、悔やんだりする自分
と、もし、前半抑えていたとしても、今、ここで快調に走っていたかどうかの保障はないぞ
と、もうひとりの自分が言う。70km〜75kmは、キロ6分を越えたが、体感的には7分を
超えているように思われた。サブ9は絶望的となった。それより、この先の一気の上りを思
うとゴールまでたどりつけるかどうかとまで考えるようになっていた。あいかわらず前後に
ランナーの姿は見えない。

 木立の中で、きれいな流れの川を渡ると、77.5kmのドリンクエードだ。いかにも
アルバイトですという高校生たちがお弁当を食べながら談笑している。へろへろになったラ
ンナーの姿など目に入らぬようだ。ここでも、柄杓で水をかぶる。すぐに少し急な上りにな
る。ここでもたまらず歩いてしまう。上りがゆるやかになるが、走りに戻りたくないという思
いが多くを占めている。「あの木からは走るぞ」と気持ちにムチを入れる。まだ両側に木立
がつづき、外輪山への一気の上りではないからだ。

 なんとか、気持ちを取り直しペタペタと上っていくと、急に目の前の風景が変わる。黒っ
ぽい砂のような土、木々は姿を消し背の低い緑鮮やかな草が地面を覆っている。荒涼と
いうよりは、壮大で伸びやかなおおらかさを漂わせている。いよいよ最後の難関だ。い
や、そのはずだった。80kmの看板を境に、きっぱり「歩く」ことにした。もう無駄な抵抗は
止めることにしたのだ。阿蘇の自然の前に私はあらがう力をもう持ち合わせてはいなかっ
た。何も遮るもののない広大な草原を、風が強烈に吹き抜けはじめた。キャップが飛びそ
うになって、幾度も頭を手で抑えた。風にもからかわれているようだ。振り返ると私にはあ
んなに苦しくつらい道のりだったのに、あざやかな緑ときらきら輝く田んぼのその風景は、
とてもおだやかな表情を見せていた。この時、わたしの「負け」を痛感した。

 強い風によろけそうになりながら、ようやく上りつめて、ドリンクエードにたどり着く。「ここ
がてっぺん?」の問いに、「いや、まだ少し上ります」。 指さされた方を見ると、まだまだ
急な道がうねるようにつづいていた。意を決して走りだしたが、エードのテントから見えなく
なったところから、また「歩き」に入った。変なところで見栄を張った自分に、なぜか笑いが
こみあげてきた。

 やっと外輪山の上に立てたようだ。雲が多いのが残念だが、雄大な風景が右にも左
にも遠くまでひろがっていて心が洗われる。牛が放牧されている。すぐ横を通ったら、鼻輪
をしたその牛が笑っているように見えた。「なぁに悩んでるんだか、人間が小さいぞ」って。
牧草地の真ん中で、軽自動車を止めて応援してくれている年輩のご夫婦がいらした。この
方たちには、ある時は、車で追い越し際に、またある時は道路脇からと、何度も応援の声
をかけてもらった。たぶん、私のすぐ後くらいを走っている誰かを応援するために動いてい
らっしゃるのだろうけれど、牛以外誰もいないここでの応援は、本当にうれしかった。思わ
ず立ち止まって「何度も応援ありがとうございました」とお礼をした。おだやかな表情のご
主人は、「あと少し、気を抜かずに」とおっしゃった。

 85kmのエード。ここでは、「おにぎり」をほおばった。強い風のせいか、表面がパサパ
サしていて、なかなかのどを通らない。ここでもお茶などはなく、スポーツドリンクで流し込
む。そうこうするうち、後続のランナーが2人相次いでエードに着いた。1人は給水ももどか
しげにすぐにスタートしていった。もう一人は、バケツの水を脚にかけてからスタートしてい
った。「あ、そうか。」今頃気がつくのもなんだけど、私も真似をして火照りのような熱を感じ
る膝と足首に水をかけた。ラグビーのやかんに入った魔法の水じゃないけれど、こころなし
か脚が軽くなったような気がした。

 猛烈な風にあおられながら進んでいくと、少しずつ前方に根子岳が見えてきた。きのう
あんなにくっきりとそのギザギザした頭をみせていた根子岳だが、今は、たれこめた雲に
その姿の全容を伺い知ることができない。絶景の「象ヶ鼻」にたどり着く。根子岳も中岳も
みんな雲にその頂を隠している。太陽も雲に隠れていて、陽差しがあればキラキラ輝くは
ずの美しい田んぼも、その規則正しいかたちがきれいなだけだ。ここでも私は阿蘇に対し
て「負け」を痛感させられた。

 そんな「敗北感」に落ち込んでいる間もなく、ジェットコースターのような下りが始まった。
苦手の下り坂道が強烈につづく。先の年輩の男性の「気を抜かずに」の言葉を思い出す。
ここをうまく下りきること。私にとっては、これが最後の難関となった。遠くにゴールの阿蘇
町のホテルなどの家並みが見える。あと10kmだ。つづらおりの角のカーブミラーに後続
のランナーの姿は写らない。前を行くランナーの姿は、いくつも下のつづらおりだ。途中90
kmのエードでまた、脚に水をかける。あと48分で行けばサブ9。それは現実的でない
が、自己ベストの更新までならあと57分ある。

 4kmで350mというが、もっと下ったような感触を膝に感じながら、平坦な田んぼ道に
出る。何とか私にとっての最後の難関を突破できたようだ。92.5kmのエードでも脚に水
をかける。が、膝や足首の疲れはさほどでもないようだ。いよいよ単調なまっすぐなあぜ道
だ。秋田にも80kmすぎに似たようなまっすぐの田んぼ道がある。初めて走った時はすご
くつらかったことを思い出した。しかし、この区間はさして苦しまず通過できた。後ろから強
い風が押してくれていたこともある。まるで「神風」が吹いたようだ。しかし、それより何よ
り、もう坂がない。もう7kmを切っている。そんな精神的な要因が強かったようだ。95km
のエードでは、頭に、そして脚にもたっぷり水をかけた。

 田んぼの横の水路には、水が満々と流れている。阿蘇の自然が生み出した豊かな湧き
水なのだろう。そしてその自然の力をうけて、稲がその生命を力強くはぐくんでいくのだと
思うと、また「敗北感」が頭をもたげてくる。

 エードを過ぎてかなり進んでから田んぼの中に95kmの表示。8時間39分15秒。こ
こまで積み上げてきた走りの「量」の意地もある。何とか自己ベストは出したい! のこり
5kmを30分で走り切れれば自己ベストに届く。今になって、陽差しが戻ってきた。

 もう1kmは来たかな? と時計を見るが、2分09秒。気持ちほどには脚は出ていないよ
うだ。あと5kmからくらいは1km毎のキロ表示がほしいものだと思いながら、ひたすらゴ
ールをめざす。温泉街が見えてきて左に曲がると、いよいよゴールは近いようだ。ボランテ
ィアの男の子たちの数が増えてきたが、街の人たちの応援の姿はない。「あ、あの建物
だ」と思った建物が違っていてがっかりした。お巡りさんの立っていた国道の信号交差点
は、ちょうどぴったり「青」に変わった。そう言えばきょうは一度も信号待ちがなかったなぁ。
と自らの幸運を喜んでいると、前方にきのう受付に行くときに曲がった交差点が見えてく
る。ホントにあと少しだ・・・

 ゴールへあと300mで、すごい勢いのランナーに抜かれた。「えっ!?」と思ったが、50k
mの先頭ランナーだった。会場から自分の名前をコールしているのが聞こえてくる。21位
という声も聞こえてきた。最後の角を回る、ゴールテープが見えた。誇らしげに手を挙げる
のにはためらいもあったが、ここはやはり最後の意地もみせたことだしと、大きく両手を突
き上げてテープを切った。

 9時間05分31秒 21位。 うれしいんだけど、【阿蘇】の自然への挑戦に関しては、
敗北感が残ったのみだった。

ゴールシーン(大会本部提供)

 最後に反省点とラップを書いておきます。

●距離を積んだだけでは、坂には対応できない。練習には「量」も ある程度は必要だけ
ど、「質」を伴わないといけないということを思い知らされた【阿蘇】だった。坂道を走る。とく
に下る練習をしないと、こうしたコースを攻略することはいつまでもできない。

●「このコースは嫌い」と力説してしまったが、あらためて思うにコースへの八つ当たりだっ
たと反省している。自分の気持ちが、阿蘇のコースに負けたことが情けないだけだった。
確かに、コースへの好き嫌いもあっていいし、相性もあると思う。でも、自分の力不足をコ
ースのせいにするのは本末転倒だった。

●前半の涼しいうちに少しでも貯金をとの思いがあったにせよ、前半は、ちょっとオーバー
ペースだった。後半のきつい上りをはじめとする残りのコースの厳しさにおびえるあまり、
脚の出るうちに少しでも先へと行こうとしたのは、心に余裕がなかったからにすぎない。
 


      pitch 縦弉爪
5km   24'44" 191 106cm
10km 23'42" 48'26" 191 110cm
15km 23'58" 1:12'24" 194 107cm
20km 23'57" 1:36'22" 194 107cm
25km 31'12" 2:07'34" 171 94cm
30km 25'21" 2:32'56" 188 105cm
35km 25'28" 2:58'25" 192 102cm
40km 25'28" 3:24'19" 192 101cm
45km 24'11" 3:48'30" 194 105cm
50km 25'48" 4:14'19" 190 102cm
55km 33'10" 4:47'29" --- 103cm
60km 25'59" 5:13'28" 194 99cm
65km 27'29" 5:40'58" 195 98cm
70km 27'11" 6:08'10" 196 94cm
75km 30'09" 6:38'19" 179 93cm
80km 30'13" 7:08'33" 171 96cm
85km 33'01" 7:41'34" 158 96cm
90km 30'23" 8:11'57" 174 95cm
95km 27'18" 8:39'15" 192 95cm
Goal 26'15" 9:05'31" 192 99cm